我がベスト整体院【中野オルカ整体院】について愛を込めて

阿佐ヶ谷〇めぐり堂〇に続き、我が長きマッサージ人生をかけての遂に出会ったマイベスト整体院である中野オルカ整体院をご紹介します🦄💜🌈

 

もしも、万が一良くなかったらポケットマネーから個人的に半額返金キャンペーンをしてもいい...それくらい自信をもってオススメできる整体院です。(半額とゆーところが本当にリアルに本気)

 

ひょんなことから知り合った(少女漫画の冒頭か)利明さんは、ご覧の通りゴージャスレイディでオカマさんです。

包まれるような包容力溢れる笑顔と優しくて暖かな手の持ち主で、ひと目見たら忘れられない人です🌈🌿🌟

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中野オルカ整体院は、中野南口から徒歩8分くらい。

え、中野駅近にこんな閑静な住宅街ってあったんだ、という1画にあるかわいらしいアパートメントの2階にあります。

すみずみまで清潔で植物や目を引く置物がところどころに置かれた安心できる空間。

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しかし、何が凄いと行って、まずこの整体を受けると、確実にその後まで一ヶ月近く身体が整い続けること。

また、身体由来の精神的な重荷もほぐされることです。

 

 

私は彼女の施術を受けてたら確実に体幹が整い、マッサージに行かなくてよくなり、運動もスムーズにできるようになりました。

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利明さんは元々カウンセラーをしており、言葉だけではアプローチできない身体そのものに蓄積された感情をほぐすことが最短の問題解決になりうることに気づき、整体師としての活動を始めました。

 

 

シュタイナーや東洋医学を学んだ方ならああ、と感じると思いますが、内臓と感情は結びついています。

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『卵が先か鶏が先か、ある感情、例えばトラウマが反映される身体の部位が硬い場合、これを解しておくと、知らず知らずにその感情が溶解していく』

このような高度の施術を行うのも素晴らしいのですが、私が感激したのは、それでありながら、

『通常整体は、ほぐし尽くすことを目標にすることが多い。
しかし、身体はその方の生き方の反映であり、凝りは生物が皆持つ防衛本能からくるもの。
ある部位が硬いとして、しかしその方がその生き方上、そこを硬くして何かを守ってるとしたら、無理に解しきらない選択肢もある。』という姿勢。

 

 

人の心や精神、魂、身体に興味津々の私は、マッサージを受けるごとに色んな技術を学んだり、お話して何故そうするのか聴いて来ましたが、彼女ほど納得の行く背景と考えを明晰に提示してくれる施術者は初めてでした。

 

この稀なる施術者の存在は、理知と研究者肌の男性性と、直感と愛情深さの女性性の絶妙なバランスによって成り立っていると思いますし、私の尊敬する経営者やプロフェッショナルの方には、女性であれオカマさんであれ、このバランスが素晴らしい方が多いですね。

 

ともあれ、もし、身体に、心に悩みがあるなら。
健康に生きていきたいなら。
五行や整体について、整体を受けながらどこより良質の講義を受けたいなら。
ピンと来たら、是非1度中野オルカ整体院の門を叩いてみてください。

色んな意味で、離れられなくなるかも知れませんよ!w

公式サイトがないのですが、是非ブログをご確認ください🌟

http://ameblo.jp/nakano-orca-seitaiin

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----Main Menu----

・ ゆりかご整体 一番人気!!←本当にオススメ🌟🌟🌟
120分 15,000円

・気功整体 どこに行っても治らない方に人気!!
迎(ゲイ)60分 30,000円
連(レン)60分 10,000円

・マザー整体(産後ケア整体)
120分 15,000円

・ホット&コールドストーンセラピー
120分 20,000円
60分 12,000円

----お試しmenu----

・プチ整体(肩から指先)
30分 3,000円
・プチ整体(膝から足先)
30分 3,500円
・ホットストーンフットバス(足湯)
30分 3,000円

石井桃子さんと、児童文学によせて

石井桃子さんの随筆集を読んでいます。

 

石井桃子さんは日本の児童文学の草分け的存在で、明治に生まれ、海外の先進の児童文学者たちと交流され、自宅を児童文学館として開放され、また、101歳の生涯で「くまのぷーさん」を含むまさに無数の本の翻訳、編纂、著作に携わられました。

 

私も小さいときから本が好きで、読むと、どんなに石井桃子編、とか訳、の本があったことでしょう。

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さて、小さいときから私は本の虫でした。

おままごとも木登りも好きでしたが、なにより、開けば魔法のように楽しい別世界で遊べる本ほど、好きなものはありませんでした。

 

だから当然、将来の夢はまず絵本作家になることでした。小学生になり、もっと難しい本が読めるようになると、夢は作家になりました。

 

小さいころの本にまつわる思い出は無数ありますが、一つ挙げると、小2のとき、学級文庫にあった「霧の向こうの不思議な町」-のちに宮崎駿さんによって千と千尋の神隠しとして映画化される物語の底本にもなりました-に惚れこみました。

 

学級文庫では、一回一週間借りられるのですが、あまりに夢中になった私は、他に借り手がいないので許してもらい、なんと数十週も借りて、何十回も読みました。

 

すると年次の終わりに先生が、「摩耶ちゃんがそんなに好きなら、2年が終わるお祝いにあげるわね」と、その本をくださったのです。

 

以後、今に至るまでその本は宝物で、いままでに、色々なことがあったけど、家出をしたときもなくさず、いまも手元にあります。

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あれから本当にいろんなことがあり、私の夢は漫画家に変わったり、水商売やマーケティングの仕事をしたりしましたが、やはり私の原点は児童文学です。

 

赤毛のアン、秘密の花園、中川李枝子百合子さん姉妹のぐりとぐらをはじめとする絵本、ロビンソンクルーソー指輪物語ジブリ...私はそれら児童文学の水を飲んで育ち、いまもそれらとともにあります。

 

毎週図書館に行き、児童コーナーでも数冊本を借りますが、そんなとき、「図書館に児童室ができた日」という、1800年代に生まれ、アメリカで世界で初めての子どもの図書館を創設したアン・キャロル・ムーアさんの半生を描いた絵本を読み、図らずも図書館で泣きました。

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子ども向けのコンテンツは、大人のものを水とミルクで割ったようなものであってはいけない。むしろ、尚一層磨き抜かれた、純度の高い、美しいものでなくてはいけない。

 

 

そんな想いで、生涯を、子どもによい本を届け、尊厳をもたせ、魂を磨くちからをつけさせることに捧げた、20世紀初頭の児童文学者たちの魂のありように、その恩恵を受けて生き延びさせてもらったものとして、心からこうべを垂れたのです。

 

そんなアンさんと生前親しく交流し、本を残したのが、ここで点が繋がり線となり輪環したのですが、石井桃子さんだったのです。

 

そんなわけで、改めて、石井さんの児童文学ではない随筆集を読んでますが、そこで、1950年にすでにして50近い桃子さんと、70や80のアメリカの児童文学夫人たちの交流や、若々しさや、奮闘に、また泣いています。

 

私も必ず、未来を創ってゆく子どもたちの心が、踊り、楽しみ、強くなっていかれるようなものをこの世に作り出すことで、私に生命の水を与えてくださった無数の先輩がたの志に、そして自分と、小さな子どもたちの魂に報いたいと思うのです。

そんな想いがあったのに、クリエイターにならず回り道したのは、純粋に創作に憧れる一方、「それだけでは食べていけない」という、現実主義的なところも私にはあったからです。

そんな、一人の人間に同居するアンビバレンツの不思議を知りたくて占いを勉強しだしたのですから、人生はどんなきっかけで何が実るかわからない樹のようでもあり、何と溶け合うかもわからない河のようなものでもありますね。

ともあれ、いままで生きてきた全てが溶け込んだアクアヴィタエ(錬金術でいう生命の水)のような作品を、なので作ろうと思っています。

私は来年33になりますが、3は自然界で初めてバランスがとれる数字です。三角、三次元、三位一体、というように、3で初めて世界は立体的になります。また、私の数秘術の基本数字も3です。

色々な事象が、始まりの地点から点が線になり輪となってきたので、この年は、どういう形であれ、神秘的な輪環の年になるんだろうなと予感しています。

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僕がみんなと違うかもしれなくても、私もみんなと違うかもしれなくても、みんな一緒に生きていけると私は思う

さて、ずっと書きたかったテーマについて書きます。
アスペルガー症候群と、発達障害についてです。
 

発達障害ってなんですか

最近では、黒柳徹子さんなど有名人が発達障害の一部であるAD/HD(注意欠陥・多動性障害)だった、ということをお話されたり、あの国民的名著「窓ぎわのトットちゃん」に描かれたトットちゃんのちいさい頃は典型的AD/HD(注意欠陥・多動性障害)のあり方だ、というようなことが言われたり、トム・クルーズが文字が読めない失読症学習障害・LDの一種)であったと告白するなどにより、徐々に発達障害と言われるものへの理解も広まってきたようにも思いますが、でもまだ多くの人にとっては「なんのことじゃらホイ」という感じでもあるように思うのです。

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アスペルガーは、自閉症スペクトラムと言われる広汎性発達障害、と言われるものの一症状です。
ただ、そもそも発達障害って何?という方も多いと思いますので、これは政府広報サイトから引用したいと思います。
発達障害は、脳機能の発達が関係する生まれつきの障害です。発達障害がある人は、コミュニケーションや対人関係をつくるのが苦手です。また、その行動や態度は「自分勝手」とか「変わった人」「困った人」と誤解され、敬遠されることも少なくありません。それが、親のしつけや教育の問題ではなく、脳機能の障害によるものだと理解すれば、周囲の人の接し方も変わってくるのではないでしょうか。

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発達障害の色々について

大きく分けますと、発達障害というのがまずありまして、これは脳機能の発達に関する生まれつきの障害(という言い方が適切かについては適切ではないとわたしは思うのですが、便宜上使います)です。
 
その中に、不注意、多動、衝動的、などの特性があるAD/HD(注意欠陥・多動性障害)(有名人で言うとウィル・スミスやブリトニー、エジソン黒柳徹子さん、セカオワFUKASEなど)と、「読む」「書く」「計算する」などが極端に苦手な学習障害(LD)(有名人で言うと、文字が読めなくて有名なトム・クルーズオーランド・ブルームキーラ・ナイトレイ、S・スピルバーグなど)
そして、言葉・コミュニケーション・対人関係に弱く、行動をパターン化することが好きな自閉症があり、似たような弱みがありながら、言葉に関しては強いアスペルガー症候群(有名人で言うとスティーブ・ジョブスビル・ゲイツイチローさかなクンなど。スピルバーグも公表しています)があります。
 
自閉症アスペルガーは、同じ広汎性発達障害というカテゴリーに入りますが、アスペルガーは、よく「知的障害のない自閉症」と言われます。
そのため、(この言い方も本当にどうかとは思いますが)アスペルガー自閉症の中でも「高機能自閉症」と言われることが多いのです。
 

■同時にいくつかの特徴が併発することもある

また、発達障害はいくつかが併発することも多いと言われます。
アスペルガーADHDADHDとLD、LDとアスペルガー、のような形で、併発することがありえます。
例えば、以下のような記事に、アスペルガーADHDの違いが書かれていますので、ご興味あれば参照してください。

対人関係に見られるアスペルガーADHDの違い

アスペルガーの人

 他人の気持ちを理解できないため、失礼な態度や発言をしてしまいます。その結果相手を怒らせてしまいます。

ADHDの人

 遅刻やミスが多かったりして、他人を怒らせてしまいます。しかし、他人の気持ちをくみ取る力はあります。また、対人スキルが低いものの、人と親しくしたいという願望はあります。

 

仕事で見られるアスペルガーADHDの違い

アスペルガーの人

 作業の一部に囚われ、そこに集中するあまり、作業全体が遅れてしまいがちです。状況を把握することが苦手です。

ADHDの人

 ケアレスミスが多かったり、用事を先送りにしてしまいます。締切自体を忘れてしまうことさえあります。

 

集中力に見られるアスペルガーADHDの違い

アスペルガーの人

 アスペルガーの人は放っておいたら何時間でも作業するということがあります。しかしそれは、好きだから夢中でやっているのではなく、こだわりが強くなってしまって抜け出すことができないでいるのです。繰り返すことによって変な安心を感じてしまっている状態です。

ADHDの人

 興味のあることに集中します。過集中で疲れてしまうこともあります。

via:

統合失調型パーソナリティ障害-アスペルガーと間違いやすい病気

 

こうして見ると、どちらの性質もあるな、と思い当たる知人がいたりする方も珍しくはないと思います。
 
わたしも専門家ではないですし、ミスがあるかもしれませんが、まずはこの引用で、大体の性質を把握していただければと思います。
 

アスペルガー症候群 診断チェック | @メンタルヘルスの無料診断

↑こちらに診断がありますので、ご興味ある方はやってみてください。

 ■アスペルガー症候群について

さて、長く前置きしましたが、本稿ではそれらの発達障害の中でも、アスペルガーについて特に書いてみたいと考えています。

アスペルガーと言われる性質の特徴と言われるものを挙げるとかなりあります。

例えばこんな具合に..


* あいまいな指示を理解できない
* 鵜呑みにしてしまう
* 言葉の裏の意味を理解できない
* 皮肉を理解できない
* 名前を呼ばれないと自分だと気づかない
* 騙されやすい
* 些細な事で争いになる
* 人を批判すると止まらなくなる
* 冗談が通じない
* 退屈に耐えられない
* 夢中になると話し続けてしまう
* 興味のないことは絶対にしたがらない
* スケジュール管理ができない
* 一度に2つのことをできない
* お金の管理ができない
* ガヤガヤとした環境が苦手
* 急な変更にうまく対応できない
* 白黒ハッキリつけたがる
* 同音異義語を理解できない
* 部分に注目し、全体が見られない
* なんでも悲観的に思い込む
* 先が見えない事に不安になりすぎる
* 片付けができない
* 「オープンクエスチョン」でフリーズする
* 指示がないと動けない
* 友人を作る気がない
* びっくりしやすい
* 暗黙のルールがわからない
* 服装を気にしない
* 傷つきやすい
* 他人を傷つけることを平気で言う

 via:http://asperger.nerim.info/

大きく大体で分けると、以下の3つくらいにわけられるかもしれません。
1、対人関係が苦手
2、「言外に込められたもの」「曖昧さ」がわからない
3、限定された興味・こだわりと興味対象への集中力
 

■この記事を書きたいと思ったきっかけ

元々、この記事を書きたい、書こうと思った一番大きなきっかけは、身近にアスペルガーと思われる人がいたことです。
 
そして、彼と付き合う内に、彼のことがよく理解されていないゆえに、彼もまわりの人もハッピーではない情況が度々生まれてしまっているかもしれないと思い、理解を促進することによって、みんなが今よりハッピーになったらいいな、と思ったからです。
 

■理解してもらいづらいアスペルガー

最初彼とあったとき、わたしは全く彼がどういう人かわかってなかったので、彼の対応や発言に怒りすら感じました。
以後の付き合いの中でも、彼がアスペルガーなんだろうな、と思いアスペルガーについて色々勉強するまで、怒りを覚えることが多かったのです。

http://www.geocities.jp/kkonnib/gallery/tihiro_79.jpg

なぜなら、アスペルガーの人の特徴に「普通なら言外に含めたりしてあまり言わないところまではっきり言う」ですとか、
「常識的に考えると社会的な付き合いを考えてそこまで言わないことも正直に言う」とか、「普通ならしつこいと思われるくらい、情況に関しての詳細を
言い過ぎる」などがあるのですが、それは当初、とても「配慮がない」とか「言い過ぎ」とか「しつこい」と感じられたのです。
 
例えば嗅覚があるから匂いがわかるように、痛覚があるので傷をしたことに気づくように、わたしたちは感覚があるので、それを感じることができます。
でも、その感覚がなかったとしたら、感じることはできません。決して悪い意味でいうのではないのですが、例えば彼が言外の意味を理解しないと言って責めるのは、目がない人に「なぜお前は見ないのだ」というのと同じようなものなのじゃないかと、わたしは彼と付き合い、勉強することで理解していきました。

 

アスペルガーの人と一緒に生きていくための提言

一般的な会社で働くアスペルガーの人には、IQが髙い人が多いかと思われます。
なので、ある視点から見ると、十全かそれ以上に職務を全うできるため、彼が特にコミュニケーションや計画性において拙いと、「さぼっている」とか「努力をしてなくて」そうなっているように見えてしまうことも多いかと思うのです。これが、ある種の不幸の原因に(本人的にも周りの人的にも)なってしまうことがあるのではとわたしは見ています。
 
しかし反面アスペルガーの人は、高機能自閉症と言われるくらいですから、IQは一般以上だったり髙いことも多いので、ある範囲の情報処理能力が超人じみていたり、こだわっている部分の研究の深度が凄まじく深かったり、人が自分を守るために正直に言わないことを正直に言ったり、という美点や能力があります。
 
特異な能力の髙い部分と、反面特にコミュニケーション面での一般と違うところ。
それを活かして共生できたらいいなあと思うようになりました。
 

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先述のとおり、こういうアスペルガーとかの性格は、元々そのようになっているものであり、「治す」とか言う種類のものではないと思われます。
 
なので、その性格・性質を理解して、いいところが活き、一般的には問題になってしまうような部分は「そういうもの」としてどうすれば問題にならないか周りが考えて一緒に生きていくのがいいのではないか、ということです。
 
わたしは昔、親による聞きかじった理解から「自閉症じゃないか」と言われていた頃がありました。
自閉症では全くなかったと思いますが、ちょっと並以上に人前で話したり、意見を言うことができなかったのです。
内には秘めたる強い思いがありましたが、それを人前で表現することができませんでした。
またプレッシャーが高まると、人前から逃げてしまうこともありました。
おかげで、へんてこな民間療法にも通わされたことがあり、加持祈祷のごときそのセラピーとやらを体験しながら、「この大人たちは何言ってるんだろう」と思ってました。
 
でも、わたしは大人にそう言われても「わたしは、人並み以上に自意識が強くて恥ずかしがり屋なだけで、たぶんそういうもの(自閉症)ではない」と思ってました。
 

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なので、中学校以降は努力をして性格を変えました。
人並み以上の努力だったと思いますが、あえて「変人である」という性格的な外皮を作り出すことによって、「外皮の中で人並み以上に物事を言ったり動いたりすることができる」という個性を作り出し、そのアウトプットにより周りの反応が変わったこと(大人しいしゃべれない奴から、変なユニークな奴へ)を利用して「自分は人々とまっとうに渡り合っていける個性をもって世界で生きていける」というふうに自分に自信をもたせてやるレッスンをしました。
その努力の甲斐があってか、いまわたしは、恐らく平均よりも大勢の前でのスピーチや、見知らぬ人の前でのプレゼンが客観的には得意と言われるタイプといっていいかと思います。
 
こういう、努力で変えられる種類の性質は、(この障害という言い方の是非はともあれ)いわゆる「発達障害」と言われるものではないかと思います。
発達障害の症状は、例えばダイヤモンドが銅には変わらない、といった種類の、変わりようのないそのものがもつ特性なのだと思うのです
 
ダイヤモンドに対して、お前はなぜ色がないのかといっても仕方ないし、
銅に対してなぜお前はこれこれの条件下で腐食するのか、といっても仕方ないでしょう。
 
ひなぎくになぜお前はバラの芳香をもたないのかといっても仕方ないし、
バラになぜお前はひなぎくのような花弁の数をもたないのかといっても仕方ない。
 
そのように、アスペルガーの症状は、
なぜ君は人の心を解さないのか、といったりしても仕方ないことだとわたしは思うのです。

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では、どうすれば良いのでしょうか?
 

■すごいところがいっぱいある。苦手なところは理解してあげればいい。

少なくとも、私見では、例えばダウン症の人と触れたとき、「なんてこの人は心が綺麗なんだろう」とわたしはいつも思うのです。
知能的には現存の解釈では低い場合が多くても、ダウン症の人は本当に天使のように心が綺麗な人が多いと思います。
そして粘り強いので、例えば工芸品の制作技術などを習得して、ライン作業で工芸品を作るような仕事であればとても素晴らしい仕事をするのではないかと思うのです。
 
アスペルガーは特に、知能的には髙い場合が多いですし、知能指数が髙い場合、
こだわった分野における集中力や特異な能力については凡人が追いつくのは難しいレベルでできる人が多いように思います。
 
彼らのそういった能力がとても活きる環境は絶対にあるはずです。
例えばわたしが知り合ったアスペルガーの子も、その特異能力である分野についてエキスパートと言われる能力を発揮しています。
 
ただ、その彼が、ある分野の研究的なことにエキスパートであるからといって、では例えば彼にマネジメントであったり、対外コミュニケーション能力、スケジュール調整能力を多く必要とするタスクを任せるべきかといったら、そうではないと思うのです。
 
わたしはプロではないので、わたしの意見は、いち、アスペルガーの子と一緒に生きているいる個人の意見ですが、わたしが強く言いたいのは、
宝物のような性質をもっている人が、その代償のようにある分野においての能力がかなり低かったとしても、優れた能力の方を活かせる場にその人がおかれ、
不足している部分を「それはダイヤモンドが銅のように腐食しないように当然のことだ」とみなしてあげられるのであれば、会社や社会はいま以上に発展していかれるだろうということです。
 

http://www.g-call.com/blog/upimg/%E7%AC%9B%E3%82%92%E5%90%B9%E3%81%8F%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%80%80%E4%B8%AD.jpg

彼らは、また、心が綺麗な人が多いように思います。
 
心が綺麗というのも抽象的というか、定義の不明確な概念ですが、 例えばある実績を褒められると、例えばその実績の内実が自分のおかげでないとわかっていた場合、普通であれば、「まあ、それでもそういうふうに褒めてもらったのだから」と思って口をつぐんで名誉を受ける、という方も多いでしょう。
 
アスペルガーの人は、「その実績の内実は私の力によるものではありませんので褒められることが理解できません」とはっきり言います。
これは、(わたしはおかしい話だと思いますが)場合によっては「せっかくのお祝いムードをそんなことを行って無碍にしなくても...」と思われてしまうこともあるかもしれません。
 
でも、多くの人が口をつぐんで自分の名誉にするものを、「そうではない」と言い切るのは、本当に正直じゃないでしょうか。
 
また、とても権威がある人が、ある人の失敗を公然と批判したとします。
しかしその失敗の理由は、一緒に働いている人であれば、彼だけの責任というよりは様々な要素が混じり合って成立したものだと薄々にしろはっきりにしろ感じているとします。またその批判が、「全体に喝をいれる」的なもので、彼は可哀想なスケープゴートでもあったことを感じているとします。
しかし多くの人は、「触らぬ神に祟りなし」とばかりに、「彼はかわいそうだが、この公衆の前でそれを弁明して自分が矢面に立つのもアレだし、いまは黙って、あとで彼を慰めよう」とか考えます。
 
しかし、アスペルガーの人はそこで立ち上がって、「しかし、彼が批判されているこのことについては、こういう事情があったし、彼だけがこの場で批判されるのはおかしい」と言ったりします。
 

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どちらも、まあ、わたし自身が実地で体験したことですが、アスペルガーらしい彼は、そのように振舞うのです。
わたしは、なんてまあ凄いんだろうと思い、自分の自己防衛主義を恥じながら彼を尊敬したものです。
 
まあ、アスペルガーは得てして「必要以上なほどに正直」とか言われる性質があるにしても、これはアスペルガーがどうとかいうより彼個人の美質なのかもしれませんが、しかし、この姿を見てわたしは、「彼の細かい人心の機微を感じ取れないように見える性質の反対として、彼はこういう正直さという美質を頂いているのだなあ」と感心したわけです。
 
なので、彼らは、ある分野における研究者的スペシャリストであり、常識に風穴をあける改革者、あるいは勇気ある発言者である一方、外交官やプロジェクトマネージャー、コミュニケーション職ではないので、彼らの不足した部分は、他の人が愛や制度でもっと補ってあげればいいと思うのです。

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わたしが非常に尊敬する人には、例えば卓越したヨギであるパラマハンサ・ヨガナンダマザーテレサガンジー、コルチャック先生、黒柳徹子さんやその母朝さんなどがいますが、その中で、徹子さんの「トットちゃん」に出てくるトモエ学園という、戦前に存在した真の意味での自由主義の学校、
ADHD的な児童ゆえ、小学校を数ヶ月で退学になり、徹子さんが再入学した学校では、外人の子も、ポリオの子も、発達障害の子も、みんな一緒に学んでいました。
徹子さんが大きくなって、日本でも類を見ない女優歴60年とかを継続して、ユニセフ親善大使としても活躍されて、いまいらっしゃるひとつの大きな原因は、
トモエ学園の教育方針があったと思ってます。
 
トモエ学園では、それぞれが自分のスピードで学習して良いのでしたけど、最後は、「みんな、一緒にやるんだよ」っていうのが哲学だったのです。
ポリオの子は、身体は不自由で体育は大変だったかもしれないけど、とても頭がよかったし、ある子は、頭の速さは遅かったかもしれないけど、集中するといつまでも同じことを継続することができたし、そんなふうに、みんなどこか優れててどこか足らないのです。

 

だから、誰が上とか下とかではなく、助け合ったり協力して、「みんな一緒に」生きていくのです。

 

http://new-beauty.c.yimg.jp/article/images/20048/8579a3d3b76fddd8eb25b362eb74042f.png

■最後に

とても長くなりました。
また、プロでもない人間が色々言ったりして、アレなところもあるかもしれませんが、お許しいただければと思います。
 
ともあれ、わたしたちは皆なにか足りないものをもっています。それは、皆そうなんです。でも、だからもっているものを持ち寄ったり、足りないものを補いあったりして、皆で生きていくんですよね。
 
名作漫画キングダムにおいて、ついに始皇帝になる政は、人の本質を「光」だと看破しましたね。(完全に読んでるベースの発言ですが)

http://livedoor.blogimg.jp/dorj1980-buzz_manga/imgs/3/6/36d01cb3.jpg

そして、光は、全ての光の色を混ぜると「白」になるんですよね。
「輝きそのものの色」と言ってもいいかも知れません。
 
わたしたちは皆、その人だけの色をもつ光であり、多くの光と混じり合い、取り入れ合いながら、至高の輝き、全なる光になることを目指すものではないでしょうか。
 

http://www.jfbkk.or.th/images/artculture/2014/Chihiro_Iwasaki_02.jpg

最後に、もし読んでいただきディスカッションとかご意見とかくださりたいよ、という方がいらっしゃったらいただけたらと思います。

 

わたしと小鳥とすずと

わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

金子みすず [1903-1929]  

http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/asuka3/cabinet/img1304241143030011.jpg

 

ここまでお読みいただき、有難うございました。

佐野研二郎さんエンブレム騒動に思うこと

この件に関しては何故か興味をもち、ほぼ毎日検索したり色々漁ってフレッシュニュースを追う、というぐらい興味をもってたんですよね。

それが、「人間として耐えられない限界状態」として佐野さん自らがエンブレム撤回を申し出たという、一応のピリオド(じゃない気もするけど)を迎えたので色々考えたことを書きたいと思います。

www.sankei.com

 

興味をもったきっかけは、幾つかありました。エンブレム騒動が始まった頃に、「これもパクリみたいなもん」と言われた画像があったんですけど。

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via http://geeksokuhou.net/archives/45925541.html

これの、auLISMOについては、本当に発表された当時から「ただのAppleの劣化版じゃん。え、こういうのオマージュとかいうのかな?アリなのかな?」と思っていたから、「あれを作った人かあ....」と思ったのは大きかった。「あれに感じた違和感を、今回大舞台で注目されるから、みんなが感じたって感じかなあ」と思って。

 

続いて、次の二者のネット調査隊による調査結果が興味を引きました。

森本千絵さんと高嶋りかこさんの件です。

森本千絵さんは、博報堂の後輩として少し佐野さんをSNSで擁護しただけではあるのだが、ネット捜査班の調査の手はおよび、言及されたのがユーミンのアルバムキャンペーンに使われた以下の作品でした。

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via http://francepresent.com/morimototie/

↑ここに詳細が掲載されているので、ご興味あれば見て欲しいんですけど、私はたまたまこのニュースが出る数日前に、吉本ばななさんと森本千絵さんの対談番組を見てたんですね。

www.cinra.net

そんで、その時森本さんの作品にまつわること、姿勢、仕事の仕方、色々見ていて、創造性があふれるような人だし、さすがに博報堂で第一線でやってた・引いては美大出身者として博報堂に入れてしまうからにはその以前から、本当に才能と押し出しにあふれる人なんだなあとおもったものだった。

あと一緒にテレビを見てた同居人が武蔵野美術大学で森本さんと同期だったらしく「その当時から大学でも話題の天才だった」とも言ってました。

ともあれ、そのことが別にあってもなくても、この森本さんの「パクリ疑惑」をみると普通の「素材利用」か、「インスパイア」でしかないし、許可とってるなら普通のことじゃん素材使うのって。と思いました。

連座、という言葉が頭に浮かびました。

ちょっと擁護したらここまでやられるの怖すぎる、とも思いました。

ただ、テレビ見てたときチラリと胸を掠めた「嫉妬」のような感情は、割と佐野さん問題の一部を読むとくヒントになる気がします。(後述します)

 

じゃあ次に、長嶋りかこさん作品なのですが、かのbjorkのビデオとかcdのクリエイティブと、長嶋さんが手がけたcharaのcdジャケットの比較....

一応bjork(ビョーク)とは...

ビョーク - Wikipedia

中学生の時からbjork大好きで、ずっとアルバムもビデオも追ってきた私からすると、これは「超インスパイアされているし、リスペクトというより追随という感じなのと、cocoonといえばbjorkのアルバムヴェスパタインに入ってる名曲の名前で、名前まで同じじゃん。。。。」と思いました。

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via 長嶋りかこにもパクリ盗作疑惑!プロフィールと作品画像を比較検証 | 星々の煌めき

www.youtube.com

bjorkのcoccon

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↑ 「chara cocoon bjork」の画像検索結果

まあ、charabjorkの作品全く見てないなんてことあるのかな?っていう疑問もあり、見てたとしたらこれはさすがにちょっとアレなのではないかと思いそうなのに何故パスしたんだ、とか、そもそもタイトルがwwwとかいう疑問点は解消されませんが、ともかくこのアルバムデザインと画像はbjorkcocoonに似てるし、劣化版に見える、と私は思いました。

 

同じことを思ったのは、ワンピースと真島ヒロさんの対比ですけどね。

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↑これ、一瞬「あれ...?ワンピース?」と思いませんか?

大昔ですが、私は真島さんがデビューしたときのポスター見て「あれえ、尾田さん画風劣化した?」と思ったら真島さんだったんですよね。

ワンピースのファンってわけじゃないんですが、そのあまりに明らかな画風の似てっぷりに、当時漫画家を目指してて自分の画風を作り上げる難しさを感じてたし、必ず毎号ジャンプ買って、尾田さんのデビュー読み切りから読んでいる身としてなんとなく悔しく、「すぐ消えるだろう」と思ったら未だに人気漫画家で、完全に予想は外れたんですけどね...

まあしかし、この例ではよく尾田さんも真島さんも鳥山明先生のドラゴンボールに憧れて育ったから、ある程度画風が似るのは当然だ、みたいな擁護説もあったりするんですけど、このお二人に限らず、70年~80年生まれの少年漫画家で鳥山先生に感動しなかった人なんて逆に少ないだろうし、ナルトだってなんだって、誰かしらからインスパイアを受けないクリエイターなんていないわけです。

 

ここに来て思ったのは、佐野さん問題と高嶋さん問題と森本さん問題は質が違うなってこと。違和感は、質が違うのに同系列に並べられてるなってこと。

 

今回の佐野さん騒動で「パクリ」と言われて糾弾されているものって、実は4種類あると思うんですよね。

倫理観の問題とプライドの問題と練習不足の問題勉強不足の問題。

 

①人の素材を許可なしに利用する。

これは倫理観の問題ですよね。今回の「素材パクリ」については部下がやったと発表されてますが、佐野さんのところはそんなに人数の多くない事務所ですから、それが別にやってもいいこと、というような空気があったかもしれないし、それはわからないです。会社として公にした仕事に問題があれば責任者が責任をとるべきなのはそうだとは思います。

・・・例:サントリーのトートバッグとか空港の写真とか

(が、素材として使っていいものならフォントもだけど使ってなんの問題もない)

 

②バレなきゃいいと思って、あるいはバレても大丈夫と思って他人の作風を真似る

これは、プライドの問題だと思うんです。自分ないし自社の看板をあげて作品を発表するってことは「これは自分の作品ですよ」ということだから、それが他人の作品を真似たものであるってことは、クリエーターとしてはとても恥ずかしいことだと思うんですけど、それをしちゃうっていうのは、プロとしてプライドがないってことだと思います。まあ、これも倫理観の問題とも言えるかもですね。・・・例:特定しずらい

 

③そんなつもりじゃなかったがインスパイア元の作品に似てしまう。

これは、練習不足の問題ですよね。あらゆる創作は、何かからインスパイアされてると思いますが、その上で看板しょって発表するプロは、それを独自に昇華する義務を持つと思うんです。それが、練習不足で「誰が見てもアレの劣化版だな」と思うような状態で発表されてしまったとしたら、それは練習不足だと思うんですよね。

③についてはインスパイアはされてるし、それを自分でも認識してるけど、自分の作品として世に出せる程練った、と本人は思ってるけど外から見たらそうでもなかった、ということもあると思います。・・・例:真島さん・長嶋さんとかが②じゃなかったらコレかな?

 

④作ったものが実は誰かの作品に似ていた。

これは、勉強不足の問題かなと思うんです。これだけ世の中に創作物がありますから、作ったものが以前誰かが作ったものに似る、ということは当然あると思います。ただ、②・③を無意識下でやっている可能性はありますよね。勉強をしてきた人は、恐らく様々な創作物の背景や体系を学び、その創作物の裏にあるものを認識した上で二次創作するんだと思いますし、それであればそれはもう新しいクリエイションだと思うんですけど、いままでの創作物の数って、言ってみれば世界中の浜辺の砂ほどあるはずなので、公的に発表する際は「何かに似てないかな?」っていうのをチェックする役目があるといいですよね。・・・例:特定しずらい

 

①は正直、佐野さんが感知してるかはわからないです。このような問題になったから超盗人猛々しい、って言われてますけど、多分他のクリエーターもやってると思う。

他のクリエーターがやってるからいいって訳じゃないけど、佐野事務所だけが糾弾される問題ではないかと思う。(みんな部下がやってたことで佐野さんが知らなかったとしたら、それは、有名デザイナーが名前で仕事受けてるのに忙しすぎて実仕事を部下が全部やることになっている業界のあり方と、それで良しとしてた佐野さんの問題だと思うけど、それってパクリそのものとはちょっと問題が違うかと思う。)

 

②は、一番いやだなあと思うもの。これって、パクリ元が有名だとパクリ先が「パクリ

って言われるけど、パクリ先のが有名だったりするとパクったことが見つけられずにパクリ先がオリジナルになっちゃうこともあるんだろうな、と思う。

③・④についても結構世の中によくあることだと思う。①と②は努力でやめられるけど、③と④は努力にも限界があるかなあって気がする。

 

そんだから、それらの問題を一緒にすべきじゃないと思うんですよね。

で、どうして佐野さん事件ってこんなにヒートアップしたのか、を考えてみました。

 

一つには嫉妬があると思う。

やっぱり、電通博報堂っていうのは、いわゆる「業界」の最高峰で、憧れたからって入れるものでもない。マーケティング業界に長く身を置いてたって到底接触できないようなクライアントや仕事があそこにはある。

キラキラしているし、給料も高そうだ。

そこ出身で、独立してオフィスまでもっていて、国を代表するような仕事をバンバンしているひとって、普通に考えて「羨ましいひと」だ。

そんなひとに対する「憧れ」と、「嫉妬」の混じったようなものを持ってるひとは多いと思う。

 

ただ、芸能人や政治家のようなわかりやすい公人とは違って、普通はそういう「市井の羨ましいひと」って、一般人があまり触れる機会もなければ攻撃出来ることもない。

でも、正直言うと、一番「ウマイ」ポジションって、そういう「市井の羨ましいひと」だ。

「ちょっとリッチで、見栄もはれて。輝かしい仕事に、楽しそうな交友関係。それれでいながら人気稼業の公人と違って、あからさまな批判にさらされることも少ない」というようなひとたちに対しての世間的な「面白くない」気分っていうのはあると思う。

 

さっき森本千絵さんのところでも少し出した気持ち、「才能もあってキラキラしてて、それが認められもして充実してる」ひとに対しての嫉妬心だ。

 

それが、今回その象徴みたいなひとを攻撃する機会ができた。

 

にちゃんねるの捜査班の結束力

そういう感じはしてたんだけど、この一連の「パクリ」騒動を掻き立てたのは、私の認識している限りでは2ちゃんねる住民たちだ。

それで、このまとめに書かれているこの文章を読んだときに、ああ、って思ったことはあった。

 

佐野研二郎のパクリ作品まとめ画像がヤバイwwサントリーはトートバッグ一部賞品取り下げ!2ch「本名は朴尊簸の在日韓国人って本当?」「五輪エンブレムデザイン盗作も会見で認めろ」 : NEWSまとめもりー|2chまとめブログ

434:
まぁお前らの特定する能力はすごいと思う。
あっという間に特定しちゃうもんな。

 

444:
ネット掲示板は、数千人、数万人が見ているから、類似性を突き止めるには適している。
トヨタの宣伝にレッドリボン軍のマークとか、
普通は気づかないが、
ドラゴンボールオタなら気付くもんな。

 

509:
やっぱ俺らの影響力ってかなりのもんだよな
嘘だらけの新聞、テレビ、雑誌
嘘もあるけど、真実も隠れてるネット(主に2ch
大学教授だったり、政府関係者、FBI、芸能人
様々な人が本音で書き込みをしてる
これ程貴重なソースって中々ないよ
鬼女板の捜査力は警察以上だし、
俺らのDQNに対する制裁は国外追放も可能だし、
不買運動なんてさせたらその企業が潰れるレベル
俺はお前らが誇らしいよ
匿名の集合体としては世界一だと思う

 

これは、潜在的にあった「うまいことやってるやつらがうまい思いをしている」っていう世間のなんとはない不満が、攻撃対象を見つけて、一体になって起こした運動だって。

あと「高い金もらってんのにたいした仕事してねーんじゃねーの」とか、「そもそもエンブレム気に食わねーよ」とか。

その気持ちはわからなくもないし、ネットが発達したことによって以前だったら闇に葬られていたような不正が明るみになって正されたりすることはあると思う。

 

でも、この匿名性っていうのが怖いと思う。

自分たちは安全な匿名性の中にいて、ちょっと攻撃したいひとを、自分は安全なところから好きなだけやっつけられるってなったら、そりゃあ安全だし楽だし楽しいと思う。

その上今回の騒動は史上初・にちゃんがNHKのニュースソースになった、みたいな影響が目に見えて出たから、世の中動かしているみたいで興奮したりもしたと思う。

 

でも、匿名だから、自分のいうことに責任もたなくても書くことができるし、論旨のズレも平気で容認しちゃう。

 

パクリって一括りにしてるけど、にちゃんで散々指摘された「パクリ」は①であって、②③④に関しては②は確信犯だからアレかもしれないけど特定できてないし、③④を責めすぎてしまったらこの世の新規コンテンツなんて9割以上なくなっちゃうんじゃないかと思う。

小池一夫さんて方がこんなツイートをしてたけど、本当にそれ。

森本千絵さんもそうだけど、当初「擁護」に回った界隈のひとたちはみんな槍玉にあげられ、あることないこと暴きたてられ、それで公的なツイートなりコメントなりをやめたら「逃げた」と言われた。

 

それじゃあ、そりゃあ、誰もなにも言いたくなくなるだろうさ。

①~④どれであったって、大金もらって晴れやかなステージ立ってんなら、どんな突っ込み入ったって大丈夫なようにしときな、って気持ちなのかな、と思うけど、だったらそう言えばいいじゃんね。

ちゃんとした言論ならいいと思うけど、何かいおうとしたら匿名の大勢VSある名前をもった個人 って図式になって殺されちゃいそう、っていうもの怖いし、批判するにしても味噌もクソもいっしょくたにすべきじゃないと思います。

 

オリンピックにまつわるコンペに不正とか癒着があるならそれはそれで問題にすればいいし、

有名クリエーターの部下任せが常習化しているデザイン界の問題があるならそれはそれで問題にすればいいし、

許可が必要な他人の素材を勝手に使っちゃう傾向があったなら、それはそれで倫理観不足で問題にすればいいかと思うけど、

全部いっしょくたにして個人攻撃するのは違うでしょうと思います。

 

隠れ蓑来て集団人身攻撃すること、その攻撃の仁義のなさに反対するひとたちは「その他の不正をも擁護する擁護者」と攻撃されるのも怖いけど、そういうのも含めてネットのいろんな追求の論理のズレとかヒトとしての倫理性のなさに公的な言及も入らずにエンブレム取り下げまで行っちゃったのも匿名性と同じくらい怖いというかやな気がする。

 

大きな子供が暴れて、良くないことしてるのに、大人は怒れもしなかったみたいな。瑕疵って、是正してもらうために努力してもいいけど、瑕疵をしでかしたからって相手を殺してもいいってことじゃない。

あと、ある人が言ってたAということで嘘があったから、BもCもDも嘘ってことではない。そこらへんを混同したままにしていいってことにしちゃうと、公正ではない。

ついでに今回のケースの場合って、エンブレムをこれでよしとした人たちがあるわけだから、どーせ糾弾するならそれもとことんまで追求しないといけないはずなのに、攻撃の種が見つけやすかった対象だけ追求し続けるのもカッコ悪い。

 

くそも味噌も一緒にして自分たちがそれを糾弾したい理由には目もくれず、稚拙な正義感で匿名性に隠れて自分たちは全く傷つかずにひとを攻撃できることにノリノリになって攻撃しまくったネット勢に、大人たちがあんまり怒れないでいたことで、色々ないいもんも萎縮するのもやだ。

 

佐野さん、あそこまでの攻撃を受けて良く持ちこたえられたと思う。

今回の件、ことがオリンピックだったので、2020年までなんとなく思い出される可能性があってかわいそうだけど、そして私ごときがいうことではないけど、人は別に何回でもやり直せると思います。

 

ネットもテレビもまーったく見なくても愉快に暮らしていくことはできるし、ふつーーーに超お金持ちになることもなんだってできるし、別に、ネットとかテレビとかが全てじゃないから。

 

昨年のサムラゴーチさんとかののちゃんとかとは違う点は、私は佐野さんの作品は全然好きじゃないけど、きっと才能があるのだろうし仕事の実績もたくさんあるんだから、きっとやり直せるさ、と、片隅からエールを送る、いまはそんな気持ちです....

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人の性格は変えることができるのか?そして、愛について。

先日、オックスフォードのエレーヌ・フォックス教授による心と脳の白熱教室(Eテレ) を見ました。

内容を端的にまとめると、脳科学は人格を変えることができるのか、というテーマで、

悲観的な脳を楽観的な脳に変えることが出来るという脳科学の可能性を長年の研究から立証し、それを講義したものです。

www.nhk.or.jp

なんで悲観的な人と楽観的な人がいるんだろう?

悲観的な人は楽観的な性格にはなれないんだろうか?

こういったことって非常に興味のあることだったので、とても惹かれて番組を見ました。

そして色々思ったことを書きます。

●目次

■悲観的なタイプ、楽観的なタイプって確かにあるよね

■セロトニン運搬遺伝子タイプが人の性格を決める?

■やはりセロトニン運搬遺伝子は「楽観性を生む遺伝子」なのかな?

■マイケル・J・フォックスとの出会いと驚くべき発見

■悲観的遺伝子の持主だからと言って悲観的になるわけではない。

■マイケルの楽観的志向を育んだもの

■大人になっても、脳は変わっていくことが出来る。

■ナルトとキングダム、漫画に見る「愛」の凄さ

■少しだけ自分のことも話す

■本当に長い文章の最後の短いまとめ

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