石井桃子さんと、児童文学によせて

石井桃子さんの随筆集を読んでいます。

 

石井桃子さんは日本の児童文学の草分け的存在で、明治に生まれ、海外の先進の児童文学者たちと交流され、自宅を児童文学館として開放され、また、101歳の生涯で「くまのぷーさん」を含むまさに無数の本の翻訳、編纂、著作に携わられました。

 

私も小さいときから本が好きで、読むと、どんなに石井桃子編、とか訳、の本があったことでしょう。

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さて、小さいときから私は本の虫でした。

おままごとも木登りも好きでしたが、なにより、開けば魔法のように楽しい別世界で遊べる本ほど、好きなものはありませんでした。

 

だから当然、将来の夢はまず絵本作家になることでした。小学生になり、もっと難しい本が読めるようになると、夢は作家になりました。

 

小さいころの本にまつわる思い出は無数ありますが、一つ挙げると、小2のとき、学級文庫にあった「霧の向こうの不思議な町」-のちに宮崎駿さんによって千と千尋の神隠しとして映画化される物語の底本にもなりました-に惚れこみました。

 

学級文庫では、一回一週間借りられるのですが、あまりに夢中になった私は、他に借り手がいないので許してもらい、なんと数十週も借りて、何十回も読みました。

 

すると年次の終わりに先生が、「摩耶ちゃんがそんなに好きなら、2年が終わるお祝いにあげるわね」と、その本をくださったのです。

 

以後、今に至るまでその本は宝物で、いままでに、色々なことがあったけど、家出をしたときもなくさず、いまも手元にあります。

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あれから本当にいろんなことがあり、私の夢は漫画家に変わったり、水商売やマーケティングの仕事をしたりしましたが、やはり私の原点は児童文学です。

 

赤毛のアン、秘密の花園、中川李枝子百合子さん姉妹のぐりとぐらをはじめとする絵本、ロビンソンクルーソー指輪物語ジブリ...私はそれら児童文学の水を飲んで育ち、いまもそれらとともにあります。

 

毎週図書館に行き、児童コーナーでも数冊本を借りますが、そんなとき、「図書館に児童室ができた日」という、1800年代に生まれ、アメリカで世界で初めての子どもの図書館を創設したアン・キャロル・ムーアさんの半生を描いた絵本を読み、図らずも図書館で泣きました。

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子ども向けのコンテンツは、大人のものを水とミルクで割ったようなものであってはいけない。むしろ、尚一層磨き抜かれた、純度の高い、美しいものでなくてはいけない。

 

 

そんな想いで、生涯を、子どもによい本を届け、尊厳をもたせ、魂を磨くちからをつけさせることに捧げた、20世紀初頭の児童文学者たちの魂のありように、その恩恵を受けて生き延びさせてもらったものとして、心からこうべを垂れたのです。

 

そんなアンさんと生前親しく交流し、本を残したのが、ここで点が繋がり線となり輪環したのですが、石井桃子さんだったのです。

 

そんなわけで、改めて、石井さんの児童文学ではない随筆集を読んでますが、そこで、1950年にすでにして50近い桃子さんと、70や80のアメリカの児童文学夫人たちの交流や、若々しさや、奮闘に、また泣いています。

 

私も必ず、未来を創ってゆく子どもたちの心が、踊り、楽しみ、強くなっていかれるようなものをこの世に作り出すことで、私に生命の水を与えてくださった無数の先輩がたの志に、そして自分と、小さな子どもたちの魂に報いたいと思うのです。

そんな想いがあったのに、クリエイターにならず回り道したのは、純粋に創作に憧れる一方、「それだけでは食べていけない」という、現実主義的なところも私にはあったからです。

そんな、一人の人間に同居するアンビバレンツの不思議を知りたくて占いを勉強しだしたのですから、人生はどんなきっかけで何が実るかわからない樹のようでもあり、何と溶け合うかもわからない河のようなものでもありますね。

ともあれ、いままで生きてきた全てが溶け込んだアクアヴィタエ(錬金術でいう生命の水)のような作品を、なので作ろうと思っています。

私は来年33になりますが、3は自然界で初めてバランスがとれる数字です。三角、三次元、三位一体、というように、3で初めて世界は立体的になります。また、私の数秘術の基本数字も3です。

色々な事象が、始まりの地点から点が線になり輪となってきたので、この年は、どういう形であれ、神秘的な輪環の年になるんだろうなと予感しています。

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